セイコーは、服部金次郎という人の腕時計店である、「服部時計店」から始まりました。当時は、鎖国の影響で、日本の時計技術は欧米に比べて大変遅れていました。そのような中、1881年に創業されたのがセイコーだったのです。
創業から数十年間、最新鋭の機械を導入したり、軍から精密機械のノウハウを伝授してもらうことで、セイコーは飛躍的に技術力を向上させていきました。
そして、1923年。関東大震災により工場が大打撃を受けますが、懸命な努力により、翌々年3月には生産を再開。そして、1924年、「精巧な時計を作る」というセイコー創業時の原点に立ち返るため、「SEIKO」ブランドが誕生しました。
1950年代、朝鮮動乱による特需景気が時計業界にも波及し、セイコーも一気にこの波に乗っていきます。セイコーはこの時期から、CMなどを打ち出してブランドとしての地位を確立しつつも、海外の模倣でなく、独自の技術に基づいた腕時計を開発し始めました。
1960年、当時の世界最高の精度基準よりも一段と厳しい基準を作り、誕生したのがかの有名な「グランドセイコー」です。セイコーの持つあらゆる技術の粋を集めたグランドセイコーは、ついに世界最高峰の腕時計としての地位を確立します。
さらに同年、セイコーは、東京オリンピックの公式計時を担当する意思を固め、「国産品のオリンピック」に相応しい活躍を見せたことで、世界的にもセイコーブランドが認知されることになります。
腕時計のムーブメントと言えば、現在最も主流なのが、メカニカル方式(機械式)とクォーツ式です。
1969年、セイコーは、その名も「セイコークォーツアストロン」という、世界で初めてクォーツ腕時計の開発に成功します。当時は各社がこぞって独自のクォーツ式を開発していましたが、徐々にセイコー方式に統一されたことは、世界で認知されるきっかけとなったことでしょう。
その後も、セイコーはクォーツ時計の開発中に生まれたさまざまな技術を用いて、小型薄型化、低パワー(消費電力)化、高精度化、多機能化など、多くの先端技術を切り拓いていきました。
1990年代以降、クォーツが大量生産されるようになり、その価値は徐々に低下していきました。しかし、他のブランドがクォーツ時計を大量生産している中、セイコーは原点に立ち返り、”未来の腕時計”へと舵を切っていたのです。
電池交換を不要としたソーラー発電や自動巻発電、熱発電などだけでなく、セイコーは1999年、世界初の独創的な機構を持つムーブメント「スプリングドライブ」を発表します。機械式とクォーツ式を融合させたこのムーブメントは未だセイコーでしか作ることができません。
創業当初から掲げる「精巧な時計を作る」という一貫した理念の元、セイコーは、遅れた技術から世界の最先端へと躍り出たのです。
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